新記号論 読書会 2019.12.14 第三回

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 この読書会は、池袋のレンタルスペースを日程に合わせて予約して実施している。今回もまたあらたなマンションの一室を開拓した。前回のマンションの目の前であった。しかし、ターミナル駅の池袋にあるマンションの一室だがとても簡素な間取りだった。いつものコアメンバに、会の理念に興味を持ってくれているメンバも参加してくれてうれしかった。

 第二講義のフロイトへの回帰では、題名の通りフロイトに関する内容がほとんどになる。正直、これまでフロイトが学者であること、精神分析の専門家であったことくらいしか知らず、具体的に何をしたのかとか全く知らなかった。同時代のアドラーの心理学は、5、6年前に流行ったのもあって知っていた。それでは、人間の心と行動について、フロイトは原因を探り心的外傷トラウマを探るが、アドラーは目的を探すという、違いがあるという話は覚えていた。

 原因によって引き起こされる、してしまう、のではなく、することが目的であったという考え方だ。端的に言うと人のせいにはできない、はじめからそれをすることが目的だったという構図になっている。この考え方はとても新鮮であったことを覚えている。ともあれ、この第二講義で出てくるフロイトはそのような自分のイメージとは全く違う面を知らせてくれた。

 ①なぜフロイトなのか、という話から始まる。第一講義であった脳科学と記号論の接点を考えるうえでフロイトを見直すことは意義があり、それは、ヒトの心はメディアと同じ形をしていることを見抜いていたからだとされる。「マジックメモについてのノート」というフロイトの論文では、 当時、 画像1のようなものが子供用の玩具として売られていたが、その構造と機能が、フロイトが考える心のモデルとそっくりであると述べられている。

[画像1]マジックスレート

 この論文に注目したのは、100年前に構想していた心のモデル=玩具が、現在、主流となっているタッチパネルをもつタブレットとそっくりであったとすると、そこにいたるまでの思考の過程には現在の最新のメディア状況を考えるヒントがあるはずだ、ということが言いたかったのではないか。その後の展開に期待を持たせるいい導入で、やはり引き込まれる。

 ②不思議メモ帳を心のモデルとしてとらえると下記のような構造を見ることができる。表面のセルロイド板が外部刺激から「保護」する役割で、人間の生物学的なキャパシティを超えないように外に押し出そうとする働きを持つとしている。その下には文字が浮かぶパラフィン紙があり、ここを入力が文字や絵として表象化される「知覚―意識」の層であるとしている。さらに下にあるワックスの蝋板は痕跡が「記憶」として貯蔵される「無意識」の層にあたるとしている。

『新記号論』ゲンロン P102~105の記述をもとに作成

 このモデルでは、つまりマジックパッドでは、記憶の呼び出しができないので、それができれば人間の心のモデルそのものであるとしている。ほとんど同じ基本構造を持つ現在のタブレット端末では、インターフェースから入力した情報を保存するだけでなく、それらを呼び出すことができる。まさにフロイトが構想した心のモデルを実装したものを我々は日々当たり前に使っている。

 この話だけでも、フロイトの研究をあらためて問い直すという試みが、現代につながってくるということに説得力を持つ。

 ③フロイトの後期の本で『文化の中の居心地の悪さ』という本で、「人間は補助具をまとった神となった」という意味の記述がある。当時はスマートフォンやタブレット端末はなかったが、人間の能力を超えるようなことを実現できるテクノロジーが発展していくことを見越していたかのような記述である。

 その記述に続けて、「その補助具は人間とともに成長したのではなく、しばしば人間に危害を与える」とある。第一講義であった「ファルマコン」の話のように技術によって得るものと、失うものがあるという話と似ている。フロイトはすでに、明確な心のモデルの構想ができていた晩年にそういうことを考えていた。このことからどのようなことが言えるのだろう。

 自分が考える心のモデルを具現化できるようなもの、マジックパッド、が具現化されている世の中で、人間が心と同じ機能を持つ道具持った時に、どうなるのか。そこに関する記述はないので、そのようなテキストは残っていないのかもしれない。ただ、次の展開がフロイトの心のモデルがどのようにつくられたのかを探求していく展開なので、その過程にヒントがあるのではないか、と筆者は認識しているのではないか。

 ④神経学者としてのフロイトから振り返りが始まる。失語症の研究で、原因が脳の「言語装置」の不具合にあるとしたヴェルニッケやリヒトハイムの研究に対する批判的考察である。脳の部位と言語に関する機能を対応させる考え方であった。語の理解がヴェルニッケ野、発語に関する機能がブローカ野にあるとしたもので、局在説とよばれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ウェルニッケ野 より引用

 『失語症の理解に向けて』での批判では、言語装置はある部位が言語能力を器質的に支えているのではなく複数の部位が機能連合することでバーチャルな装置として機能しているものだとしている。

 ⑤では、フロイトは言語に対してどのような考えであったのか。ここがこの日のハイライトとなった部分であった。

 言語活動は、「語表象」と「対象表象」の結合である

語表象: 視覚、聴覚、筋運動に由来する、複数の心象(イメージ)の協働からなる「複合的な表象」

  「音心象」を代表として、発話・書記および聴取・読解に関わる心象

・対象表象: 対象物から受け取る「感覚印象」の複合した表象

 感覚印象とは、見たり、聞いたり、触ったりするときに感じる印象で、「視覚的連合」に代表されて「語表象」と結びつく

 ここは、何度も読んだところだった。まずこの図の右上と左下のどちらが、対象表象で語表象なのかを理解するのが大変だった。どちらも物に対する印象をもとに構成されていると読み取ることができたからだ。この節の後でフロイトの心のモデル、局所論の読み解きを進めていくと、耳から入るものが語表象になり、目で見たものが対象表象であるということがなんとなく、わかってくる。第二局所論では耳から入ったものを受け取る器官のようなものとして聴覚帽というものが出てきて、それがやがて超自我になるという話にまで繋がっていく。

 この新記号論で紹介されるフロイトはきわめて、論理的で先進的な印象を持った。これまでは、夢の解釈や無意識に関する研究をした人物でともすればオカルトに近いような研究のイメージがあったので、とても新鮮だった。

 読書会のレジュメ作成で読み、読書会で説明するときに読み、このエントリで読書会の記録をまとめるために読んでいるが、第2講義がとてもよく構成されていることが分かる。 

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