蒼頡

新記号論 読書会 2019.12.1 第二回

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 第二回は予定通り開催できたので、延期したことで第一回に参加できなかったメンバも参加してもらい、倍以上の数でおこなうことができた。また、第一回の内容で気になったところを最近の自身の体験と結び付けて発表してもらった。新記号論を基本としながら、読み込む中で出てくる問いや気付きを展開していきたいという読書会を構想した時からの理想としていた展開が少しづつできるようになってきた。

 ①第一回の復習から始まった。メディア論の導入があり、メディアとはいつからあったのか、なぜメディア研究が必要なのかということを振り返る。この本でやろうとしているプロジェクトがなぜ必要になるのか、そのヒントが導入され、のちの展開を楽しみにさせてくれる。この本では、シロウトでもわかるような新たな切り口がつねに用意されている。ガチの思想哲学や脳科学の話が出てくるが、導入の切り口で読者を掴めるので、思想哲学や脳科学の詳しい知識がなくても読み進めていけるし、掘ろうと思えば掘れる、深い話題でもあるのが素晴らしい。

 もう一つの復習では、筆者が講義でも使用しているという、ライプニッツから始まる記号論の年表についてであった。2つの大きなメディア・テクノロジーの進化を軸として、社会や思想の歴史とメディアテクノロジーの成果の変遷を一緒に記載したものである。再び話題に上がったのはアナログ革命とデジタル革命の間の用語として「大衆社会と消費社会は何が違うのか」、「構造主義、ポスト構造主義とは何か」といった点であった。これまでは、メディアテクノロジーと思想や社会の変化はそれぞれで関係なく進化や変化があったものとしてとらえられていたが、筆者の理解ではそうではなく、当時の思想・哲学の研究者たちはテクノロジーにより可能になったことで得られる知見を自らの研究に生かしていた、というものであった。

 年表として併記することで、その仮説がより視覚的に理解できるようになる。読書会の参加者ではこの年表で議論をすることで、頭の中で時の流れ・構図が設定されたはずだ。

 ②前回の読書会でも出てきた「技術的無意識」という概念は、個人的には第一講義で一番印象に残った言葉だった。技術と無意識という言葉が組み合わさることはこれまで全く想像できないことだった。それは、メディアのテクノロジーが進歩したことにより、人間の無意識に働きかけることができるようになったことで、これまでになかった意識できるものを作り出せるようになったもの。関連して、フッサールの『内的時間意識の現象学』が紹介され、意識がどのようにつくられるのかという問いをメロディーを聞くということから考察していく議論は、同時期にメディア技術の革新があり、無意識のレベルで働きかけることが可能になった、ということを認識できるようになったことでできるようになった。

 同時期は、蓄音機や映画が発明されようとしていたが、フッサールが同論を展開するにあたって一番参考になりそうなフォノグラフは出てこなかった。

 その謎を解くためにフッサールのテクストを読み漁ったなかで、筆者が注目したのは、フッサールは速記で文章を書いていたということだった。現在のように録音機がないので口述を速記していたという事実だった。それは、アナログメディアが発達した時期でありテクノロジーが文字を書く速さで、自分をものを考えて記述することで意識の問いを続けていたのではないか。哲学者とテクノロジーの関係については、フリードリッヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』に出てくるニーチェとタイプライターの関係も参考になるかもしれない。

 この部分でも、筆者の仮説に沿った話が展開されたように感じた。それは、メディア・テクノロジーの進化から得られる知見を同時代の人文学者は研究に生かし取り入れてきたはずで、そのような視点は、19世紀末からの思想哲学から抜けて落ちているのではないか、というものだ。他にも同様に見つけていけるのではないかという気になってくる。

 ③フッサールが速記を使っていたということから読み取れる、アナログメディアのテクノロジーとの関係のように、少し後の時期に活躍したデリダの文字学グラマトロジーについても同じように読み直すことができるのではないか。初期の頃はデリダは、1960年代の頃は、記号学と現象学のアップデートを考えていたのではないか。デリダの著作は難解なものが多いという話を聞くが、グラマトロジーのところは、もしかしたら読めるのではないかと思っている。

 ④文字について、脳科学の研究が紹介される。この話が第一講義の最大のハイライトだった気がする。実際のトークイベントで見た時も一番印象に残った部分だった。

 それは、「ヒトはみな同じ文字を書いている」というものだ。

  • 漢字やアルファベットやひらがな・カタカナなど色々な文字を3ストローク以内の文字素に分解したもの
  • 人間の視界に現れるあらゆるものの重なっている部分や縁を3ストローク以内の文字素として分解したもの → 人間がモノを認識するときは重なっている部分や縁を認識することでそれらの位置関係を把握しているという特性からこれに着目している

 統計処理で上記の文字素とモノから拾った文字素を文字素毎に合計し、それぞれの頻度分布を求めると、ほぼ一致しているというもの。

 これらの結果からいえることは、

  • 「人間がつくったすべての文字を分解した文字素の分布頻度は同じ」
  • 「人間がつくったすべての文字の出現頻度は自然界の構成要素の出現頻度と同じ」

 人間は自然から読み取った構成要素をもとに文字を作っているが、その出現頻度をまねている。一つの文字の種類だけでなく、違う種類の文字種類でも一致するということは、そのことを強く裏付けているといえるのではないか。

 ⑤さらに、脳科学の研究から「ニューロンリサイクル仮説」が紹介される。人間が自然を認識するときに使っている脳の領域と文字を認識するときに使用する領域がほとんど同じであるというもの。

 詳細は、この本や研究をまとめた本を読んでもらいたい。一つ前にでてきた話とつながっていて、自然を読んでモノを認識して得た材料を使って文字を作ったというなら、その自然を読むために鍛えられた力があったはずで、それが人間の文字を使う能力として後天的に備わっていく。人間と自然はつながっているという話が研究として実証されたという展開はエキサイティングなものだった。

 ⑥第一講義の最後は、人文系の学者が、認知神経科学や脳科学の発見をうけて、なにをすべきなのかという熱い話になる。人文系の学者は自然科学の知見を知って驚くという経験が必要なのでは。それは、デリダの哲学や現象学でいわれていることをニューロサイエンスの成果で説明したりすると、人文系の学者から非難されたりする姿勢に対する批判でもあるのではないか。しかし、ソシュールにせよフッサールにせよ、自然科学の知見をいかしたコンビネーションの中から自らの研究を作っていたと。

 文字と自然の話、自然を読み解く時と文字を読み解く時の脳の領域が同じであるという話、両方とも自然と文化がおなじところから成り立ってきているという話であった。

 

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